天体写真とその処理過程について【前編】

目次

  1. 1. あいさつ
  2. 2. 大学でのことについて
  3. 3. 本題
  4. 4. データ起源の観点で天体写真を眺める
  5. 5. 現実は……
  6. 6. なぜやらないのか?
  7. 7. 解決しようと思う人はいる

注意: この記事は過去の記事を移行したものです.


あいさつ

 こんにちは.
 今年前半は遊び呆けて,後半は研究と天体観測に行ったりしていたらもう年末ということで,2018年もあっという間に過ぎ去ってしまいますね.
さて,今年ラストということで,自分の中で1年間溜め込んでいたことを,軽く書いておこうと思います.
 9月と12月にはそれぞれ関東天文部勉強会や天体写真勉強会なるものがあり,そちらで発表したことです.これらの勉強会は非常に有意義なもので,他の人がなにを考えながら天体写真を撮影し,現像しているのかを垣間見ることができて良かったと思います.それと同様に,私が一年間何を考えていたのかを書き留めておくことは,悪いことではないと考えるのです.

大学でのことについて

 本題に入る前にですが,前回の記事で私が大学で何を学んでいるのかを書き忘れてしまったのでそちらの方に触れておこうと思います.
私は大学では所謂コンピュータ可視化(Computer Visualization)やコンピュータグラフィックス(Computer Graphics)の諸技術について,そしてそれらを工学的にどのように活かすのかということを学んでいます.メインは前者の可視化の方です.可視化というのは,簡単に言えば数値的なデータをいかに見やすく提示するかということで,天体写真を撮っている方なら,Windy.comGPVみたいなものを想像していただければわかりやすいかなと思います.あのようなツールでは,気圧等の観測データの数値をもとに風が流線で表示されたり,気温をもとにヒートマップで色がついていたりしますよね.ああいうものが可視化です.
その中で,「これは天体写真にも活かせる」というものを今年一年かけて気づいたので,その話を2回に分けてしたいと思います.

本題

 さて,本題に入りましょう.
少し前,Twitterで以下のようなアンケートをとりました.

 正直,これはかなりセンシティブな内容で,Twitterではいろいろ言われました.そもそも,Twitterのアンケートに正当性なんて無いだろと言われたらそのとおりですし,自分でもそう思います.ここで自分が確かめたかったのは,「天体写真には芸術と科学の両方の性質がある」ということだけです.勘違いしていただきたくないのは,天体写真は芸術か科学かでしかないということを言いたかったわけではないということです.予想ではもっと芸術に寄ると思っていたのですが,意外と4割も科学であると考えている人がいらっしゃって,驚きました.

データ起源の観点で天体写真を眺める

 ところで,情報工学の分野ではデータ起源(Data Provenance,出自と言ったりもします)という考え方があります.そのデータがいつ(When),どこで(Where),誰によって(Who),どのように(How),なぜ(Why)生成されたのか,ということです. 
もし,天体写真が芸術写真であるならば,その芸術作品たるものに対して,どのようなものが起源となるでしょうか?アート作品として自分の写真を紹介する場合を考えてみてください.当然,いつどこで誰が撮影したか,ということも重要ですが,その写真から読み取れることや,背景にあるコンテクストなどを絡めて,なぜそのような写真としたのか,ということが,おそらく起源のメイン要素として挙げられるんじゃないかなーと思います.
 では,天体写真が科学写真であるならば?私は,もし天体写真が科学写真であるなら,写真撮影という行為は,大学での実験みたいなものに相当するんじゃないかなー,などと考えます.そして,その成果物としての「レポート」が,作品写真だったりするわけです.データの処理過程をいろいろ考えて,自分の頭の中で仮定している理想の写真に近づける.こういう編集をしたらここがダメだったとか,じゃあこういう編集に変えてみようとか,そういう一連のプロセスは,まさに研究みたいな感じで,天体写真はその代表となるイメージだと思うわけです(だから編集が嫌いな人は嫌いなのかもしれないですね笑).
だとするとですよ?みなさん,学生時代に,「レポート書くときに,最低限ハズしてはいけないこと」ってなんだったでしょうか?他人の論文剽窃しちゃダメとかまあそういう論外なのはさておき,これだけは注意してねと指導されることはなんだったでしょうか?
そうです!「誰が見ても,そこに書かれていることだけでプロセスが実行できなければならない」ということ,すなわち,再現性です.天体写真が科学写真であるならば,天体写真におけるデータ起源は,その再現性に関わるありとあらゆるものを必要とするのです.そこには撮影機材や設定,そして今回取り上げる「編集過程」が含まれています(つまり,今回は天体写真は科学写真であるという立場で記事を書いています).

現実は……

 では現実に目を向けてみましょう.撮影日時や撮影地,設定,機材を書く人はあふれています.ですが,そこに「編集過程」を厳密に書く人は見たことがありますか?私はありません.なんなら,私も書きません.
どれくらいの人が編集過程を管理しているのかということについても,私はTwitterでアンケートをとりました.

いくらなんでもちゃんとやってる人,少なすぎませんか?
 今月,天体写真勉強会というものに参加してきました.これは天体写真に関する勉強会で,何人かの人が,写真の「編集過程」についてお話してくれました.このような勉強会が存在するということは,「編集過程」はそれだけ大事だということです.誰もが身につけたいスキルであるからこそ,このような勉強会が開かれて,聞きに来てくれる人がいるわけですよ.「編集過程」が大事だということは皆さん理解されてますよね?じゃあなんで,それをきちんと管理しないんですか?なぜ,日付と機材と設定と,こういうソフトで処理しましたという文言だけで終わりということがありえるのでしょうか?

なぜやらないのか?

 一つは,その人が「科学写真」だとは考えていないからです.芸術であるなら,編集過程こそが命であって,それを公開しないことは当然です.ですが,公開しないことと管理しないことは別です.以前,某変態モザイクのお方が,某雑誌で,「自分の処理過程を管理したらとても編集がしやすくなった(うろ覚えなので原文ママではないです)」と書かれていたのが印象的でしたが,仮に芸術作品と捉えている人でも,自分の中だけで編集過程を管理しておくことは,自分の編集技術向上において効果があるのではないかと考えます.
もう一つは,(私ならこう答えます.)「めんどくさいから」です.おそらく多くの人がこう答えるのではないでしょうか.だって考えてみてください.ステライメージのデジタル現像一つとったって,ありとあらゆるパラメータが存在しますよね.それをいちいちメモったりとかできますか?私にはできません.仮にメモったとしても,後で役立つかはわかりませんし,そもそも完成してから後で気が変わって,その部分の処理まで戻るのなんて考えられない.
私はさきほど,「なんで管理しないんですか?」と問いました.管理しないのは,みなさんユーザのせいではないからなのです.ソフトウェアやデータ記録フォーマットが,このような考え方をそもそも想定して設計されていないから,とりわけ編集が複雑な天体写真の世界で管理できないのは当然なのです.では我々は諦めて,いつまでもある人の編集過程が全くわからない世界で生きていくべきでしょうか?いいえ,問題を発見したら,どうすれば解決できるのかを考えるのがこういった趣味の醍醐味です.

解決しようと思う人はいる

 これを解決しようという動きはあります.ステライメージを見てみると,7から,「ワークフロー」の機能が追加されています.自分がかけた処理の記録を見たり,順番を変えてその違いを確認したりすることができます.ですが,この機能はあくまで「1ライン」上でしか動きません.順番を変えられると書かれているということは,つまりはそういうことで,処理過程は一本の直線とみなされています.天体写真の編集は一本の直線でしょうか?たとえばRGBに分解して,Rにだけ処理をかけて,もとの画像と合成するなどという処理があった場合,それを一本の直線で記述することは適切でしょうか?Hαのフレームを別に用意して,あるチャンネルと合成するという処理を,一本の直線でふつう記述しますか?しませんよね?
したがって,私は,ステライメージのワークフロー機能はかなり評価できるとは思いますが,完全ではないと考えています.

 次回,どうすれば解決できるのかという私なりの考えを示します.

なにか,コメントやご意見のあるかたはここでもTwitterでもいいので,お願いします.震えて待ちます.

追記:後半はこちらになります